私にとっての復活祭

resurection

2010年4月に書いたイースターの記事です。何度読み返しても感動を新たにします。今年も、天国で父と再会できる希望に感謝しています。死に勝利されたイエス様の復活、ハレルヤ!

父は、スポーツで鍛えた、頑強な体を持っていました。70歳過ぎても背筋をしゃんと伸ばして、すたすたとスキー場まで毎日1時間歩く、正に健康を絵 に描いたような人だったのです。ところが、2007年の冬に、すい臓がんが十二指腸を突き破って大量の出血があることが分かり、そこからがんとの闘いが始 まりました。そしてまもなく、坂を転がるようにどんどん弱って行きました。

父の最期の入院のために2008年9月、私は帰国しました。両方の肺が癌性の炎症を起こし、水が溜まって呼吸困難に陥ったのです。あの我慢強い父 が、肺と膀胱に管を入れられ痛くて叫んでいたのは、余程のことだったと思います。そして、父の体の機能が一つ一つ取り去られ、私のしてあげることも段々無 くなって行きました。向こうの入院室で大騒ぎがあって、「退院おめでとう!」と言う声が聞こえる時、「わが父はもうここから家には、戻れないのだ。」と思 うと辛くて入院室でそっと涙を押さえました。病院で看病している時も、帰宅して一人になっている時も、絶えず心はズシーンと鉛のように重く、悲しみで胸は 張り裂けそうでどうすることも出来ず、ただ布団の中で号泣しました。

私にとって、息が出来ないほど辛くて、苦しくて、悲しい経験は初めてでした。その時、イエス様のゲツセマネでの弟子達に語られた言葉を思い出しまし た。「私は悲しみのあまり、死ぬほどです。」最愛の弟子達に裏切られ、ユダヤ教のリーダー達の陰謀により十字架にかけられ、父なる神と断絶される直前の言 葉です。「死ぬほど悲しい思いを通ったイエス様が、今の私の状態を分かって下さる。」と思うと、何とか耐えられたのは不思議なことでした。入院3週間後、 父はあっけなく逝ってしまいました。

父が亡くなってすぐのイースターでは、私はまだ受難を通っていて、そこからの復活をお祝いすることはできなかったのです。しかしその5ヶ月後、夢の中で神の父への愛を確認させて頂き、父が天国に召されたことを知りました。そして、私の心はみごとに癒されました。

そして、この2年目のイースター。心に平安が戻り、死と罪と悪魔に勝利されたイエス様の復活を、我が勝利としてお祝いできることの幸いを心から感謝 しているのです。「私は、キリストとその復活の力を知り、またキリストの苦しみにあずかることも知って、キリストの死と同じ状態になり、どうにかして、死 者の中からの復活に達したいのです。・・・そして、それを得るようにとキリストイエスが私を捕らえてくださったのです。」ピリピ書3:10~12  Jesus is risen! He is risen, indeed!

*父の数奇な人生について: 私の父は弘前高校生時代、ジャンプとクロスカントリーの複合選手でした。当時我が父が主将、あのプロスキーヤーの三浦雄一郎氏が副主将というチームで、国体優勝を果たしました。その後、父は早稲田大学推薦入学が内定。しかし、入学前のジャンプの練習中に突風に煽られ落下、全身打撲、脚の複雑骨折で、二度と競技スキーに出場できない体になりました。もちろん、入学はキャンセルされました。父は亡くなる直前まで、人生最大の悲劇としてそのことを語っていました。でもその鬱々とした感情が起爆剤となって彼を昭和の労働運動に駆り立て、代議士淡谷悠蔵(淡谷のり子の叔父)師の下、青森県の社会党のリーダーの一人になったのですから、人生って理不尽で残酷な反面、それをバネにして生きることも可能だということを父の人生が教えてくれました。

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